医師を志した日から、在宅医療へつながるまで
在宅医療という言葉を聞くと、「医師が自宅に来て診療するもの」というイメージが強いかもしれません。
しかし当法人理事長・内田が大切にしているのは、単に“家に行く医療”ではなく、生活の中で医療を途切れさせないこと。その考え方は、医師としての原点から自然につながっていきました。
しかし当法人理事長・内田が大切にしているのは、単に“家に行く医療”ではなく、生活の中で医療を途切れさせないこと。その考え方は、医師としての原点から自然につながっていきました。
原点にあったのは、地域に合った“支え合い”
内田の生まれは栃木の田舎。
近所づきあいがあり、調子が悪い人がいれば気にかける。お祝いごとがあれば隣近所で一緒に喜ぶ。
そうした“互助”が日常に根付く環境で育ったといいます。
祖父母を含めて何世代も一緒に暮らすことが当たり前という地域性もあり、「支えること」「支えられること」が生活の延長にあった経験が、後の医療観の土台になりました。
近所づきあいがあり、調子が悪い人がいれば気にかける。お祝いごとがあれば隣近所で一緒に喜ぶ。
そうした“互助”が日常に根付く環境で育ったといいます。
祖父母を含めて何世代も一緒に暮らすことが当たり前という地域性もあり、「支えること」「支えられること」が生活の延長にあった経験が、後の医療観の土台になりました。
寄り添う医療を志して
内田が選んだ専門は、リウマチ・膠原病。きっかけには恩師が膠原病を患ったこともあったそうですが、それ以上に大きかったのは、患者さんに長く付き添い続けられる医療がしたいという思いでした。
研修医時代、指導医が「この患者さんは研修医のころから20年来診ている」と語る場面に何度も触れ、「病気だけでなく人生を支えていく医療」に強く魅力を感じたといいます。
この「ずっと診ていく」感覚が、その後の医療の軸になっていきました。
研修医時代、指導医が「この患者さんは研修医のころから20年来診ている」と語る場面に何度も触れ、「病気だけでなく人生を支えていく医療」に強く魅力を感じたといいます。
この「ずっと診ていく」感覚が、その後の医療の軸になっていきました。
家で診るという選択肢
当時の研修制度では、内科・外科に加えて地域医療も経験します。
そこで内田は、初めて在宅医療に出会いました。
ちょうどその頃、大学病院では人工呼吸器まで含め、できる限りの医療を尽くして最期まで看取ることが主流でした。一方で「最期は家で」という希望を持つ方も増え、制度や病床の事情から、病院で最期まで診続けることが珍しくなるケースも増えていく時代でもありました。
そこで内田は、初めて在宅医療に出会いました。
ちょうどその頃、大学病院では人工呼吸器まで含め、できる限りの医療を尽くして最期まで看取ることが主流でした。一方で「最期は家で」という希望を持つ方も増え、制度や病床の事情から、病院で最期まで診続けることが珍しくなるケースも増えていく時代でもありました。
ふたつの医療がつながる
内田が所属していた医局では、リウマチ・膠原病のような専門性が必要な患者さんを地域の開業医へ紹介し、必要に応じて医師側が出向して在宅でも診ていく取り組みがあったといいます。
その経験を通じて、内田の中では「在宅医療を選ぶ/選ばない」というより、患者さんに寄り添い続けるための“手段(ツール)”として在宅医療が自然に組み込まれていった形でした。
専門を続けながら在宅も並行して取り組む。その流れは、医師としての方向性と矛盾しないものだったのです。
その経験を通じて、内田の中では「在宅医療を選ぶ/選ばない」というより、患者さんに寄り添い続けるための“手段(ツール)”として在宅医療が自然に組み込まれていった形でした。
専門を続けながら在宅も並行して取り組む。その流れは、医師としての方向性と矛盾しないものだったのです。
自然にたどり着いた形
こうした背景があり、開業時に「在宅医療を専門とするクリニック」という形になったのは、内田にとって自然な延長線上の選択でした。
通院が難しくなっても、入退院を繰り返すようになっても、医療が途切れないこと。
そして、ご本人とご家族が「その人らしい生活」を続けられること。
在宅医療は、そのために医療を暮らしの中へつなげる仕組みです。
通院が難しくなっても、入退院を繰り返すようになっても、医療が途切れないこと。
そして、ご本人とご家族が「その人らしい生活」を続けられること。
在宅医療は、そのために医療を暮らしの中へつなげる仕組みです。

